2007年 05月 30日
ずいぶんとごぶさたしておりました、約ひと月ぶりの更新です。 家の事情でというか、母が手のリウマチの手術をし、きき手でないものの家事などもほとんど出来ないのでかわりに主婦プレイ(笑)をする日々でした。 家にいるあいだは私の行動基準が母最優先になるのですが、こういうのわるくないと思いました。まぁまだちょっとの間だからそんなふうに思えるんだろうな。きっと介護や子育てはケタちがいなのでずっともっとたいへんなんだろうと想像します。こなしている人はみんなえらいなあと思うほんとうに。 今は、母はリハビリ中で、長期戦をゆっくりじっくりとがんばっています。 ファイトなのだ、おっかあ☆ 2006年8月6日〜8月8日滞在。 ポーランド!私がこの旅で最も気に入ってしまった国かもしれない。首都ワルシャワと、アウシュビッツをめざしてクラコフと、2都市を訪れ、どちらももうとっても気に入ってしまった。 それにワルシャワでは、うちらの英語の先生でもある、大阪在住でポーランド人のパベウさんがちょうどワルシャワに里帰りをしているので一日案内してもらう約束もしていたし、2泊だけでなくもっと日を割きたかったねとGeronimoちゃんと深くうなずき。でもまた必ず行きたい街なんだなあ。 今回11カ国を訪れた中で、初めて行った国は5カ国(スペイン、デンマーク、ポーランド、ハンガリー、スロバキア)、その中でも後の東欧3カ国はえらく印象深かった、正直好みでした。東欧、いいなあ。東欧よりもっと東の向こうにもやっぱり興味がだんだん湧いてくる。やば。ブルガリア(バラ祭りが気になる)とかロシアとかルーマニアとかリトアニアとかトルコとか、ああ。やば。 (← ワルシャワのランドマークでもある文化科学宮殿。スターリンによってポーランドに贈与という形式で建設されたそうです) ドイツ・ベルリンからのルートは、夜行に乗って隣国ポーランドの首都・ワルシャワへ。たしか最終到着地はキエフだったっけな、すんごい東では!それを知ってまたより旅情をかきたてられたりして。 およそ8時間を経て、早朝にワルシャワ中央駅に降り立ちました。 早朝も早朝、午前5時すぎごろ着いたっけ。 早朝のせいかとても明かりを落とした暗い駅構内の、KANTOR(両替商)で両替も終え、いざ街へ。 ポーランドの通貨はズロチ(ズウォティとも)で、この時は1ポーランドズロチ=約¥36ほどでした。うちらがまわった国の中で、総合的にみていちばん物価が安かったと思う。 大雨がうちらを迎える。 ワルシャワ中央駅にて。 この階段のふもとで。 たずね人のチラシを見かけると、地続きだからどこまでもさらわれやすそうだなあと、大陸の特長を思ったりする。 じゃじゃ降りの中、人のいない早朝の街をずぶずぶになりながらホステルへ向かった。 ぬれネズミだったけれど、くもり空の中そびえ立つタワーのような文化科学宮殿、シャッターの降りた古びた商店、舗装されていないせいかあちこちに水たまりのできた道路など、私の好きな具合のさびれた雰囲気があって(しつれい!)、すでにもう良い予感がしてきた。 好きだこの街の感じ! 予約していたOkidoki Hostelでは早朝すぎてチェックインまで待たなくてはいけなかったので、 荷物を預けて近所にあったマクドナルドへ。 ここでも一番客、とりあえず雨で冷えたので暖を取りつつ。 わおぅ、マクドナルドカラー・チェア! きゃわいいー Okidoki Hostelでは個室を予約。1泊は約¥2,800ほど。 ここのホステルはバックパッカーに人気。ええ宿でした!立地も便利なところにあります。 大部屋や夜行の移動が続くとしんどいので、うちらは旅の要所々々でこんなぐあいにひろびろしていました。 部屋それぞれにタイトルが付いてたっけ。うちらの部屋は海がテーマだったかな。 バス停にて。 雨もましになり、旧市街をめざす。 ホステルのスタッフさんがくわしく親切に行き方と地図をたくしてくれたのでバスに乗って行く。 バス好き! さんぜんとSANYOロゴ。 雨にうるおうワルシャワの街。 ああ、すごく好きだなあ、 このさびれぐあい。 ← ワルシャワ旧市街市場広場。 カフェやお土産屋さんが並びます。 ← その広場中央にある人魚像。 この辺りは1980年にユネスコによって『ワルシャワの歴史地区』として世界遺産に指定されました。 第2次世界大戦後、戦火で荒廃した街をワルシャワに戻った市民たちが、破壊前に画家が描いた絵や写真をもとに、『レンガのヒビに至るまで』復元し当時の街並みを回復したそうです。 私はそれを知って、ワルシャワ市民・ポーランド国民の、たくましさや強さ、自分たちの土地を愛する心をうかがえた気がしました。とくにポーランドを誇りに思う心は、この翌日にワルシャワを案内してもらったパベウさんからも伝わるものがありました。 ← その『レンガのヒビに至るまで』復元したあとかもしれない箇所を発見。石造りの土台が残っていたのをもとに、そのまま上に建て直したふうになっていました。 まだまだ雨の降る旧市街。 石畳っていいなあ。 ← 旧市街にあるバルバカン。 15〜16世紀に火薬庫や牢獄として使われていたそう。これも大破されたものを復元したそうです。 そのふもとで、画商さん。 真ん中奥がバルバカン。 まだまだ旧市街。うろうろ。 先代のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世はポーランド出身、国民の誇りなのです。 ラヴリー看板。 レストランだったっけなあ。 看板もうひとつ。 ドイツなど、ヨーロッパのこの辺りの薬局はヘビがシンボルマーク。神話にもとづくみたいです。 こういう何もないところに時間のかさなりがうかがえるようでぐっとくる。 この猫、室内にいる鳥カゴの鳥を狙ってます。 腹ごしらえに、ポーランド料理の代表格でもあるピエロギを☆ 日本でいう餃子みたいなものです。もちもちおいしい!! ホールのお兄さんに説明してもらい、アラカルトで何種かの詰め物の入ったものと、きのこスープをオーダー。 ウサギの肉の詰め物なんかもありましたがやめときました。 ここは旧市街近くにあります。あちこちのガイドブックに載ってるみたいです。 それにしてもポーランド料理に魅了されました!どれもこれもおいしいんです。追って紹介していきたいです!! ← 握りこぶし。 帰りはてくてく散歩がてら歩いて帰る。 古びたビルディング群に胸キュン連続! 読めん。 右はレーニン?でしょうか。 いなせな看板。 パラパラマンガのごとく。連写。
by norichofu
| 2007-05-30 00:00
| 2006夏/欧州の旅
|
アバウト
わたなべのりこ/イラストレーション描いてます。大阪在住。06年夏のヨーロッパ11カ国・2カ月間の旅写真や、撮りためたものをアップ等。旅日記全52編の一覧は下のカテゴリの”もくじ”からどうぞ☆ by norichofu カテゴリ
以前の記事
2015年 03月 2010年 12月 2008年 07月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 more... ブログパーツ
link
フォロー中のブログ
ライフログ
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||